厳しく評価されることから逃げていた

厳しく評価されることから逃げていた

厳しくても評価される環境に飛び込むことで
判断する力、考える力をもう一段階引き上げていこうと心に決めた。


今、僕は会社に勤めながらアートディレクター講座という講座を受講している。その講座には不定期で課題があり、成果物を現場の第一線で活躍してるアートディレクターが評価してくれる。

先日初めてその課題発表があったのだが、僕は仕事が忙しかったのを言い訳に自分の中でこれくらいでいいだろうというレベルで作品を仕上げて発表した。

その結果は散々たるものだった。

完璧なレベルで仕上げなかったことを見透かされ、勉強が足りないことを指摘された。はっきり言われたわけではないが、成果物を評価されるレベルにも達してない、そう判断された気がした。

全くもってその通りだし、悪い評価されることは覚悟していたのだが、思ってた以上にへこまされた。
この程度の成果物でいいと思ってしまった自分に対し情けない気持ちと、自分の成果物が一定のレベルにも達してなかった悔しさで頭がいっぱいになった。暫くはそのことが頭から離れなかった。

一方でそれに気づけてよかったし、これは望んでいたことでもある。

元々はクリエイティブなことが好きで、デザインの仕事がしたくて独学で学び現場で経験を積んできた。結果デザイナーとして仕事を請けれるくらいにはなった。
だけど誰にも教わってこなかったから、正しく評価されることも少なかったから、クリエイティブなものに対して自分の中の「判断する力」がとても頼りないものだった。

それがひとつのコンプレックスでもあった。

そういうものは経験や正しい評価を通して磨かれていくものだと思う。でも自分の実力が顕になるのが怖くて、その部分をごまかし、デザイン以外にコーディングができるというポジションを自分の立ち位置とするようになっていた。
それでも運がいいことと、世の中を上手く渡る知恵だけはあったので今まで特に苦労することもなくやってこれてた。

これからもそれなりにはやっていける気はしていたし、今更厳しい環境に身をおく必要もなかったのだが、そのコンプレックスはずっと拭えずに心の中にあった。

こういう気持ちは年月を重ねるほど解消が難しくなる。

この歳になるとくだらないプライドが邪魔をして素直に批判も受け止められないこともある。それでも言ってくれればまだいいほうで、遠慮してか正しい批判をしてくれる人も少なくなる。
厳しくとも自分を成長させてくれる環境に飛び込まなければ、一生この気持を抱えたままだと思っていた。

今、僕はペライチというサービスを運営しているホットスタートアップという会社に勤めている。社員数はまだ5人の世間一般で言うベンチャー企業だ(外部委託が多いのでもっといるように見られるが…)
この時期は社員一人ひとりの成長がプロダクトの成長にも大きく影響すると考えている。だからプロダクトを伸ばすためにも僕はもっと成長しようと思った。
これが厳しい環境に飛び込めずにいた僕の背中を押すきっかけとなった。

どんな環境であれ成長はできるのものだが、自分一人の力では自分が想像した以上の成長は望めない。他者が自分の限界を超えてを引き上げてくれることはよくある。
もっと早く行動を起こせば良かったという気持ちもあるが、今からでも遅いということもない。

一流と呼ばれている方は多くの経験も積んでるし、それぞれの物差しで評価してくれる。厳しく批評されることもあるが、それが自分の成長の糧になる。

自分の領域の仕事に対して自信を持って判断することも大事だと言われた。

まずは自信を持って判断できる力を養う。自分の判断を信じて正しいと思ったことが間違えることもあるだろうが、それを素直に受け止めて次に繋げられればいい。
判断する力、考える力をもう一段階引き上げていこうと心に決めた。

きっと時間が経てばこの気持も薄れていくだろう。なのでいつでもこの気持ちを思い出せるようにここに書き留めておく。

B!

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